跳舞猫日録

Life goes on brah!

2022/01/29

沢木耕太郎『象が空を』を読み終える。沢木耕太郎のエッセイは好きだ。ルポルタージュももちろんクオリティが高いのだが、ルポよりも彼のエッセイの方が彼が持っている「素」の彼の姿に肉薄できるからかもしれない。彼が対象として描くボクサーや小説家といった人物ではなく、その人物を見つめる沢木耕太郎という人物にこそ私は興味があるのだった。『象が空を』を読むことでそんな、普段は黒子のように隠れている沢木耕太郎の人となりに近づけたかもしれない。小市民的でもあり、意外と毒舌な彼の美学を堪能することができた。

宮台真司はこの社会でまともに生きられないことを当然と見なし、「クソ社会」と形容している。彼ほどスマートではない私も、時にこの社会を生きることは辛く感じられるし正気を失いそうにもなる。今日は埼玉で起きた立てこもり事件が一方で気になった。介護疲れから生じた事件だと思うのだけれど、犯罪の究極の原因なんて誰にもわからない。犯人だって正気を失ったから事件を起こすのだと思う。なので犯人さえ自分の犯罪をストレートに捉えられているとは思えない。そんな悲しい事件が一方では存在するのだ。

昼休み、そんな立てこもり事件のことを考えた。だが、一歩休憩室から出ると外はそんな事件などなかったかのようにバレンタイン一色の景色が待っていた。どんな凶悪な事件が起こったとしても、町は(というか、私たちの社会は)そんな事件を呑み込んでまた日常へと回帰していく。私も、東大前の受験生の事件も立てこもり事件もいずれ忘れてしまうのかもしれない。なにせ3.11だって忘れてしまいそうになるのだから。そして、そのようにして忘れてしまう力もまた私たちの正気を保つために必要だと言えるのだった……。

なぜ生きなくてはならないのだろう。そう考えることがある。死んだら楽になるのに……いや楽になるかどうかは死ななければわからないが(ということは、考えるだけムダということだが)、生きていれば金を稼ぐという労苦からも、いやそれ以前に寝たり食べたりといった作業からも解放されるのに、と思ってしまうことがある。それでも、生きているからには生きざるをえない。そして、生きざるをえないから生きているうちにそうした労苦の中に楽しさを見出してしまう。それが人生なのだろうと思う……と悟るにはまだまだ早すぎる、か?