Back To Life

Back To Reality

2022/01/24

今日は天気が良かった。前にも書いたことだが、天気が良いと酒に呑まれていた頃のことを思い出す。私は車を運転できない。発達障害故の不器用さによるもので、だから天気が良い日、他の人がアウトドアだ行楽だとドライブを満喫していた時に、私はどこにも行けないでひとりで家で酒を呑んでいた。自分なんて生まれてこなければよかったと思い、酒で死ねればこんなにいいことはないとも思い、ひたすら世の中を呪った。実につらい日々だった……だから私には青春時代の思い出がない。一番楽しいはずの20代・30代の記憶がなく、なにをしていたか思い出せない。

知人で、10年以上にわたるひきこもりを経験した人が居る。彼は今ひきこもりを脱し、同じようにひきこもりで苦しんでいる当事者や家族の方を支援する活動をしている。講演を行ったり、ZOOMを使った「電子居場所」を作ったりしているようだ。彼のそうした活動を知ると私も励まされるのを感じる。私はなにか誇れるようなことをしているだろうか……あまり自分を卑下してもしょうがないのだけれど、私はただ好きなように生きているだけなので威張れたものではない。人は「今のままでいいよ」と言ってくれるのだけれど。

沢木耕太郎『世界は「使われなかった人生」であふれてる』という、さまざまな映画にまつわるエッセイを読み始めた。沢木耕太郎は、人の人生には「使われなかった人生」が内包されうると語っている。選ばなかった選択肢というものがあり、行かなかった道というものがある。あの時、あの道を歩いていたら……私の人生の分岐点はどこだっただろうか、と思う。早稲田に行った時? いや、違う。市内で発達障害について話せる場所が見つかればと思って、ネットで調べて古民家カフェを見つけて、電話をかけて……あの時、私の人生は決定されたのだと思う。あの電話をかけなかったらどうなっていただろうか。

今、自分は満たされているのを感じる。自分に満足できている。だがこれは、向上心がない、とも言える。もっと高いところを目指すというか、極端に言えば「てっぺんを目指す」気概がないということでもあるのだから。だが、てっぺんを目指すだけが人生でもあるまい。こんな生き方をしていてもいいのだろうか、資格を取るとか目的を持つとかしないといけないのかなあ、と思いながらも今自分は自分なりに自由に楽しく生きていて、それで満足だと思う。こんな風に永井荷風『濹東綺譚』や『日和下駄』を読んだりしながら老いていくのだろう。ああ、それも人生。