跳舞猫日録

Life goes on brah!

2022/01/18

今日は夜に国際交流協会の催しで、海外から来られたALTの方や宍粟市在住の外国人の方とワイワイ交流をする会合に参加した。中国の方やベトナムの方の祖国の話を聞かせてもらい、その後英語と日本語を交えてテーブルを囲んで(むろん、コロナ対策はしっかりした上で)やり取りをする。日本の独自の文化、例えば餅やコタツといったものから話があれこれ立ち上がるのが面白い。私も「ニューヨークはルー・リードの音楽を聞いてから憧れている」というようなことを話した。実は海外には一度も行ったことがないのだった……。

明日行われるミーティングで話す内容を煮詰める。東大で事件を起こした生徒について調べる。彼は賢い生徒だったそうだ。私の学生の頃を思い出す。それとは関係ないかもしれないが、「親ガチャ」という言葉が流行っているということも気になっている。「親ガチャ」というのは平たく言えば、「生まれてくる親はガチャガチャみたいなもので、選べない。運次第でしかない。だからどの親の元に生まれつくかこそが自分の人生を絶対的に左右する」という概念らしい。噴飯物、と笑うのは簡単だ。だが、問題はこの言葉を信じられるほど今の若者に余裕がなくなっていることではないか。

私はこの「親ガチャ」という言葉を笑えない。というのは、私も発達障害者として生まれたことを親のせいにした記憶があるからだ。もう少し正確に言えば、私がまだ自分のことを発達障害者だと知らなかった頃に「アダルト・チルドレン」という概念が流行った。親に虐待されて育ったが故に生きづらい思いをしている子どものことだ。私はこの概念を知り、私も親に虐待されたから今の生きづらさを感じているのではないか、それを自分は否定しているのではないか、と思ったりもしたのだった。これもまた噴飯物である。私は親の愛情に恵まれて育ったのだから。

だが、私はそうして自分が生きづらいことを親のせいにして生きていた記憶がある。あるいは、いじめを受けたからだとか発達障害者だからだとかそういう理由に求めたこともある。これもまた、自分ではどうにもならない環境が無力な自分を苦しめたと自覚した、という「親ガチャ」の亜種だ。今の仲間と出会ってから、私にも自分を変える力があること、変わっていける可能性があること、変わっていく自分に自信を持つことを学んだと思う。そんなことを水曜日のミーティングで話せればいいな、と思っている。