BGM: 佐野元春 "アンジェリーナ"
ここ最近映画から遠ざかっていたので、新年が始まったということもあってなにを観ようか考えた挙げ句、ネットフリックスで『浅草キッド』を観た。北野武の半生を綴った一作で、芸事の奥の深さや師匠と弟子の絆について考えさせられるいい映画だった。ふと、去年出た小林信彦『決定版 日本の喜劇人』をまだ読めていないことが気にかかった。この本と『浅草キッド』を併せて楽しめばより深い見方ができるようになるかと思ったのだが、金はないのだけれどこの本を買って読むべきだろうか、と新年早々考えてしまった。
新年の抱負はなににしようか……曲がりなりにもこの日記を半年ほど続けて思い知ったことなのだけれど、どんな抱負も実行に移して続けなければものにならない。裏返せば、続けるだけの地道な持続力とほどほど/テキトーでもいいやと思える精神が必要なのだろうと思う。この日記だって毎日毎日面白おかしいことが起きているわけでもないのに書き続けている。手を抜くこと、力を抜くことの大事さを思い知る。そうして続けていると習慣として自分の中に位置づけられ、それが力を生み出す。そのことを去年体得できたのが大きかった。
どうしよう。またフランス語を勉強しようか、それともプルースト『失われた時を求めて』を読もうか……それとも今年は映画の年にしようか。努力を必要とされることは私は遂にできない人間なので、ラクして続けられることを続けたいと本末転倒なことを考えてしまっているのだった。そもそも私は「今年100冊本を読む!」と思って本を読んだことがない。「読めないならそれはそれで」と思って過ごしているので、大それた目標や夢なんてものを信頼していないのだった。全く、この性格は「死ななきゃ治らない」というものなのかもしれない。
そんな私なので、あらかじめ「ブロガーになる!」「小説を書く!」という大目標(?)よりも「今日、感想を書く!」という目先のことに集中して取り組んでいるうちに、いつの間にかそれが「塵も積もれば山となる」式に大事になってくる。少なくともこの日記はそういう産物だ。それはもう割り切って諦めるのが利口なのかもしれない。今日は『浅草キッド』を観たけれど、新年早々いい映画とめぐり会えたことに幸せを感じた。芸事を身につけるべく奮闘する、汗臭いたけしの姿に私も思い知らされた。結局、泥臭い日々の地道な活動こそが強いのだ、と。