跳舞猫日録

Life goes on brah!

2021/12/15

BGM: Primal Scream "Don't Fight It, Feel It"

朝、Discordのとあるユーザーと話をする。日本語を勉強している彼が横溝正史の『本陣殺人事件』と太宰治の『人間失格』を読んだというので、太宰を読んでいるなら坂口安吾もオススメだと紹介した。安吾の「不良少年とキリスト」というエッセイでは、太宰の死に触れてそれでもなお生きていく決意が記されている。私も今、心が弱っているので久々に安吾の毒に触れる必要があるようだ。海外の読者とこうして交流できることが楽しく感じられ、これまであてもなく本を読んできてよかったと心から思った。早速図書館に行き、坂口安吾の文庫本を借りた。

生きることはくだらない。人生に意味はない……と思いつつも、昨日の英会話教室でのゲームに興じていた時のように「満ち足りた」瞬間というものも私の日常には存在する。宮台真司という社会学者の「意味から強度へ」という言葉を思い出す。ゲームの楽しさに意味なんてないかもしれない。だが、それはなお楽しい。楽しいなら、そこに意味を求めずその楽しさの強度を味わうこと。それこそが生きる秘訣だ、と彼は説いていたのだった。忘れていたこの感覚を思い出し、また宮台真司の映画評や社会学を読むのも悪くないかなと思った。

断酒会に参加する。そこで、他の参加者の話を聞かせてもらう。思い出す……自殺未遂をするまで苦しんだ当時、自分の人生はもう終わりだ、自分は敗残者だ、と思っていた。当時はまだ「自分はビッグになる」と思っていたのだった。名を成すことが幸せだと。そして、成せない自分の現実とそれでもなお目立ちたい理想のギャップに苦しみ、酒に溺れた。あの頃に今のように平穏に生きている自分を想像できなかった。この普通の人生、この何事も起きない人生、その中にこそ光があるということも気づかなかった。その中にこそ幸福は眠っている……。

夜、clubhouseでとあるルームのトークに参加する。そこで英語で「過去のとある時点に戻れるなら、いつに戻りますか」というトピックに答えた。私は80年代末期に戻りたいと答えた。バブル景気がまだ華やかだった頃の話だ。日本の右肩上がりの成長が盤石だと思われていたあの時代の、イケイケドンドンの空気にもう一度触れてみたいと思ったのだった……当時、修学旅行で原宿に行き田代まさしが運営していたお店でマグカップを買った。そのマグカップを私は今でも使っている。あの栄華はどこへやら。時代はこんなにもダイナミックに変貌してしまう……。