跳舞猫日録

Life goes on brah!

2021/12/08

BGM: Genesis "Abacab"

今朝、Discordのとあるサーバで行われているアドベントカレンダーの企画でエッセイを書いた。SIONという日本のシンガー・ソングライタークリスマス・ソングについてだ。これは昨日の英会話教室でも話題になったのだけれど、私は1年の中では夏が好きだし暑い時期の方が好きでもある。でも、クリスマス・シーズンも好きだ。私も敬虔な気持ちになれるし、神など信じず罰当たりなことをして生きている身なのだけれど信じることや救済について考えるチャンスが芽生えるからだ。エッセイは概ね好評だったようで嬉しく思う。

午前中図書館に行く。こんな精神的に芳しくない状態であっても、図書館には行きたくなってしまうようだ。山本一生という人が記した内田百閒の伝記『百間、まだ死なざるや』が借りられたので借りる。私の住まわせてもらっているグループホーム世話人さんの中にも百閒を好んで読む人が居られるので、この本の話をしたく思った。そういえば昔、年末年始に岩波文庫の百閒の作品集を読んで過ごしたことがあったっけ。百閒の随筆は残念ながら肌に合わないのだが、彼が書いた小説は面白く読んでいる。また百閒づくしで新年を迎えようか。

図書館に行くというルーティーンだけではなく、精神的に辛い時であってもこの日記は書き続けたい。ご飯も食べないといけないし洗濯や入浴もきちんとしておきたい。昔、極度の鬱状態に陥った時に風呂にロクに入らず食事も食べず、空腹を酒で紛らわせていた頃のことを思い出した。昼からお寺に行き、ミーティングに参加する。そこで私は意識とはなにか、自分とはなにかについて話した。自分の思いや悩みについて、多角的に捉えるいいきっかけになった。夜は断酒会に行き、そこでも自分の抱えている悩みについて話すことができた。もちろん、ありがたいことだ。

寺でのミーティングで思ったことなのだけれど、私は会社に行けば会社の私になる。それは「演じる」のではない。会社の現場に入れば自ずと出てくるようなのだ。ゴミが落ちていたら自分が落としたものでなくても拾ってしまうように、自分とは無意識のうちにそうして出てしまうものだと思う。参加者の方が、「そうして自分を知ろうとしている自分そのものが自分なのではないか」とおっしゃった。自分をそうして俯瞰すること……そんな余裕が大事なのかもしれない。他の方の私に対する気遣いに感謝の念を感じた。