跳舞猫日録

Life goes on brah!

2021/11/24

朝、ピチカート・ファイヴの曲を聴く。彼らはあっさりと死について歌う。「憂鬱な気分で死にたいけど」等など。中島義道『哲学の教科書』で「最大の哲学問題は死である」と説かれていたことを思い出す。死……考えてみれば今まで死ななかったことがこれからも死なないことを意味するわけではないなと思い、今日死ぬ可能性もゼロではないんだなと思うと朝から暗澹としてしまう。もっとも、可能性だけで言えば北朝鮮がミサイルを発射して世界が全面戦争に突入する可能性だって「絶対にないとは言えない」わけなのだけれど。

今日もマーク・ソームズ『意識はどこから生まれてくるのか』という本を読み、意識や心について考える。やれやれ、私はなにをやっているんだ。学者になりたいというわけでもないのに……こんなことを続けるのも自分のアイデアをシェアしたいという気持ちがあってのことだろう。またこの話かよ、と思われるかもしれないが昔は理解者が居ないで寂しい思いをしていたので、今こうやって考えをシェアすることにどこかで「飢えている」自分が居ることに気づくのだった。共感を得たいのか、同意されたいのか……構ってちゃん? まあ、そういうところもあるとは思うのだが。

かつて私は死をもっと軽く考えていたと思う。死こそが自分の人生の難問を解決する最終的な、そして最善の手だと思っていた。鶴見済が『完全自殺マニュアル』の中で自殺を選択肢の中に入れて生きることを薦めていたから、影響されたのかもしれない。自死を考えて生きることで救われる……そんな心の働き方もあるのかもしれない。今はしかし、私は自死を考えない。本当に大事な人がたくさん出来たので、その人たちに自分のブザマな姿を見せてがっかりさせたくないと思う自分が居る。まだまだ、やりたいことはある……。

職場に入ると職場の論理で動かなければならない。職場のボスや同僚が目指す目標を共有しなければならない。その一方で私は職場に就業支援員を導入したいという目標を実現させたいと思っているし、私生活では私生活でもっと楽しくラクちんに生きたいと思ってあれこれ考えている。そうやって色んな目標の中で生きていると、肝心要の目標や夢を見失ってしまいそうだ。知り合いは引きこもりの支援のための仕事を続け、目標を見失っていない。彼を見習わなければならない、と思う。どの人にも夢があり、未来がある。私も改めて未来を描き直す必要があるのかもしれない。