跳舞猫日録

Life goes on brah!

2021/11/20

今日、仕事場で「ありがとう」と言われた。その時に心の中が暖かくなったのが面白かった。「ありがとう」という言葉自体は物体でもなんでもないので、触れて暖かくなるというものではない。だが、それは私に聴かれることによって温もりを持つものとして作用するようなのだ。俗に「繊細さん」と呼ばれる、心が人より感じやすくできている人が居るそうだが私もその素質はあるのかな、と思う。「ありがとう」の温もりは今日も私を動かした。今日も身体が温まる、パーフェクトではないにしろ最善を尽くす仕事をしたのかな、と思う。

未来とはなんだろう、と考える。言い古された言葉だが、私たちが未来に起こると信じていることは実は過去の延長であり、過去の事実から予測されることにすぎない。例えば天気予報は過去の天気のデータから未来に起こりうる天気を推測したものである(もちろん、だから「当たらない」と言いたいのではない)。ならば未来とはまだ到来していないものであり、あれこれ悩むだけ無駄なのだろうか。未来は実在しない? あるいは地球上で動物が絶滅してしまったら、未来を感じる存在は居なくなってしまうのだろうか……。

トレイ・エドワード・シュルツ監督『WAVES/ウェイブス』という映画を観た。運命の歯車が狂い、それまで順風満帆だった人生が悲惨なものになる、ということは(残酷な言い方をするが)誰にも訪れうるものだろう。その逆境をも、この映画のタイトル通り「波」として受け容れる度量は必要なのかなと思う。私自身のことを思い出した。就職で躓いてしまいストレス解消で呑み始めた酒に溺れ、毎日腸が煮えくり返る思いで呑んだくれて、いじめっ子の家に火を付ける妄想に溺れていた日々のことだ。ああ、なんと愚かな!

そうだ。書物と音楽だけが信じられる友だちだと思って、心を閉ざして、生きてきたことを恥じて生きていたのだった。元クラスメイトが「もし自分の子どもが自分が生まれてきたことを恥じているとしたら、こんなに悲しいことはない」と言っていたのを覚えている。その意味では私はずっと親不孝に生きていたということなのだろう。やっと今はそんな過去を間違っていたと反省し、ノーマルに前向きに生きられるスタートラインに立てたように思う。それもまた人生……確かに人生には大きな「波」があり、奇蹟が生じうると思った。その奇蹟もまた起こるべくして起こったものであり、自然界の視点から捉えればリンゴが木から落ちるのと同じくらい当たり前なのかもしれないが。