跳舞猫日録

Life goes on brah!

2021/11/12

昨日の発達障害についての発表が、実際に参加して下さった方から好評だったと聞いた。また、WhatsAppなどで海外の友だちに発表のことを話したら興味を持ってくれたので、発表の際に使ったマテリアルを英訳して紹介するのもいいかなと思った。前にも書いたが21日にも発達障害関係のミーティングがあるので、そこでも今回の発表の成果をシェアできればと思っている。ちなみに私は書類を英訳する時は自分の頭を頼っている。グーグル翻訳の質も向上しているというが、それでも機械的な翻訳を信用できない自分が居るのだった。

気分がコロコロ変わるのが私の短所のひとつである。よくいえば立ち直りが早い、ということになるのだろうが……例えば本を読む場合でも一冊の本を腰を据えてじっくり、ということにはならず気が乗らなければ投げ出してしまう。これも発達障害と関係があるのだろうか。こうしてコツコツ毎日日記を書くようになったのはその意味で大きな変化である、と言える。昔は日記が続かなかったし、小説執筆も短編ひとつを3日で仕上げる、という無茶をしていた。あせらずに毎日、気分が乗らなくても乗っても、とにかく書き続ける。それが日課となっている。

仕事中(本当はいけないことだけれど)小声で歌を歌うことがある。その歌というのが、自分でも予想がつかなかった歌であることが多い。普段歌うことのない歌が出てくる。さながらジュークボックスのように。今はピチカート・ファイヴの曲を聴きながらこの日記を書いているのだけれど、記憶のメカニズムとは不思議である。一体脳のどこに私の膨大な曲のコレクションは溜め込まれているのだろう。そして、なにがきっかけとなって歌は出てくるのか。脳は一個の宇宙だという。まだまだ謎だらけの領域なのだ、と。池谷裕二の脳に関する本を読んでみようか。

仕事を始めると、仕事によって私の意識は変わる。私は仕事の場で求められる適切な状況判断をこなし、身体を動かす。圧倒的なリアリティが私になだれ込む。だから、事前にあれこれ頭で考えすぎても大抵は無駄に終わる。出たとこ勝負で、その場に応じて臨機応変で取り繕う。無計画に生きることはしばしば近視眼的と批判されるが(映画『パラサイト 半地下の家族』を思い出す)、私はその取り繕う能力、その場しのぎの能力というのも生きる上で大事だと思う。成り行きに任せて、深く考えすぎないで……今日もなんとか仕事をした。