跳舞猫日録

Life goes on brah!

2021/11/05

毎日、こうして日本語と英語で日記を書いているのだけれど、果たして自分の英語は上達しているのかと考え込んでしまう。どう書いてもネイティブの人からはミスが多いと指摘されてしまうのだった。そして私自身も、あとになって読み返して自分の表現の稚拙さに気付かされて赤面してしまう。人からは「上達している」と言われるのだけれど、自分の中には上達したという実感はない。なので、足踏みしているだけではないか、自分の限界が見えているのではないかと考えてしまい、やる気がなくなりそうになる。それでも私は書くのだけれど。

量子力学の世界で「クォンタム・ジャンプ」という概念があるらしい。エネルギーを蓄積させていくと、それが突然「跳躍」と呼びうる変化を及ぼすというものだ。私たちがよく「化ける」と呼ぶようなそんな現象かもしれない。私も、今練習するのはエネルギーを溜めているのであって、それが私にも予想もつかない変化を生み出すのかもしれない。そんな希望を持ちながら私は英語で日記を書く。あくまで書くことそれ自体を楽しみ、今の自分のパフォーマンスに集中する。それがきっと変化をもたらすのだと信じて。

給料日だった。金を手に入れ、相変わらず豊かにならない生活ぶりを考える。一生このまま安月給で苦しむしかないのかなあ、と思った。金が入ったらルイーズ・グリュックのハードカバーの詩集を書いたかったのだけれど、まだ我慢するしかなさそうだ。こんな46歳……いや、私の世代ではこうした暮らしぶりはありふれたものだとも思うのだけれど。果たして老後はどうなるのか。老後のことなんてどうでもいい、今が楽しければいい、と酒に溺れた日々を思い出す。酒には戻りたくない。だから今できることをやるまでだ。

来週木曜日の発達障害の発表について色々書き始めている。私は鞄にこだわりがないので、いつもはイオンで買った安いエコバッグにヘルプマークと鍵をぶら下げて持ち歩いている。中には本が3冊か4冊。これが発達障害である……車を運転できないこと、英語でメモを書いていること、本を5年間で1000冊読んだこと。話したいことはまだまだある。まあ、楽しみたいと思う。私は努力が嫌いである。苦しいことを耐え忍べば喜びが待つ、と考えることが嫌いでそれよりは今を取り繕い楽しみたいと思っている。そんな生き方を続けている。