跳舞猫日録

Life goes on brah!

2021/11/04

堀江敏幸『アイロンと朝の詩人 回送電車III』を読む。今回の読書も意義深いものだった。ポール・オースターとタイプライターについて書かれたエッセイが面白い。駆け出しだった頃から清書のために使っていたタイプライターを既に世界に名だたる作家となった今でも使っているという逸話に、私は現役時代7500円のグローブをボロボロになるまで使ったという新庄剛志の逸話を重ね合わせてしまった。最近新庄剛志のことが気になっている。彼のこのこだわりも発達障害の特性なのではないか、と睨んでいる。むろん素人採寸は危険だが。

来週木曜日、なにか一時間程度で話をして欲しいと頼まれた。前に話した時は村上春樹について話したのだが、また文学の話も面白くないかなと思い自分の発達障害について話せたらと引き受けることにした。一体なにを話せばいいのか考えあぐねている。読書が好きで5年間で1000冊も読んだこと、英語でメモを書いていること、などを話せたらなと思っている。それで調べてみたら米津玄師も発達障害の当事者だそうで、こうしたカミングアウトの事例が(いいことばかりではないとは思うが)増えていることを実感した。

当たり前の話だが、人生にリハーサルはない。つまり、私なら私は40代がどんなものなのかわからないまま40代を生き、同じように50代や60代を生きなければならない。40代の半ばになって、相変わらず本を読み、眠り、食べて、仕事をして……と学生の延長のような生活をフラフラと続けているのを思うたびに、こんな40代を生きていていいのだろうかと考えてしまう。自分は大人になったのだろうか、と。自分の根っこの部分はまだまだ子どもで、弱っちくて泣き虫のままだ。それでも、少しは自分は強くなれたのだろうか。

堀江敏幸の書いたものを読み、金井美恵子に通じる典雅な文体(エクリチュール?)と古井由吉を思わせる内省、そして田中小実昌を彷彿とさせるユーモアといった要素に彼のサラブレッドの素質を見ることができた。私のように古典も海外文学もさほど読んでおらず村上春樹ばかり読んでいた身には、彼のような読み方も生き方もどうしたってできっこない。まあ、それはそうだ。私は私の生き方を全うするしかないのだから。堀江敏幸の本はまだまだ読んでいないものも数多とある。だからこれから少しずつ手を付けていくつもりだ。