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Bewitched 2

四方田犬彦の『世界の凋落を見つめて』という本の巻末に収められた詩のことをふと思い出した。「岡崎京子がむかし、いった通りになるよ。/もうすぐぼくたちはみんな忘れていってしまうだろう。(中略)仕方がなかったんだ、あのときは。/でも何も変わってはいないじゃないか、って。/気にすることはないよ。もうみんな忘れちゃえばいいんだから、って。」……この詩は、傑作というわけでもないと思うのだけれどある種の「気分」を表現したものであり、生々しさがあると思う。私自身、辛いことがあったら「忘れちゃえばいいんだから」と逃げることもあるからだ。

だが、今回の選挙に関して私の周りで、結局自民党過半数を維持して現状の体制が延長されることになったのに対して絶望や落胆の声が色々聞こえてくるのを見ると、私自身が他でもなく「でも何も変わってはいないじゃないか」「忘れちゃえばいいんだから」と諦めに走りそうになるのが辛い。諦めるということは、現状を唯唯諾諾として受け容れるということだ。現状でも私の意図、私の利害を鑑みてやれることはやれると思いたい。勝手に無力感を抱いて拗ねるのは子どもじみていて、そうした幼稚なニヒリズムこそ危険だと思う。

この小説を書き始めた時は気に留めていなかったことなのだけれど、私の勤務時間はイレギュラーなので今日みたいに仕事が遅くなり、帰宅が夜10時を回って小説を書く時間が取れないことが往々にしてある。なので、今日は朝にこの小説を書き始めているのだけれど、朝はまだまだ頭が働かずそれに加えて仕事が始まる前のプレッシャーでどうも落ち着かない。私は元々朝型の人間ではないので、頭が働き始めるのは昼からなのだ。朝はぼんやり二度寝か、仕事がある時はいっそのこと仕事に入りたい。つまり、小説を書く時間ではない。

今日はどんな本を読もうか……昨日書いたように堀江敏幸のエッセイをこのまま読むべきか、それとも古井由吉を読むべきか考えている。どちらも声高に政治を語らなかったけれど、市井の人々に寄り添った立場から生活を描き、人生を描いた作家だ。彼らの達意の文章に触れて、私も落ち着いて考えたい。彼らから私は「鳩の歩み」(ニーチェ)で、つまりささやかな次元から物事を考え抜き変えていくことの大事さを学んだと思っている。この日記もそうした、前述したニヒリズムに抗って自分自身の中のなにかを変えた記録になればと思う。