跳舞猫日録

Life goes on brah!

2021/10/30

私の仕事は肉体労働的な要素が大きいのだけれど、寒いこの季節になっても身体を動かしていると身体は熱を帯びて温まってくる。今日も身体は温まった。この熱こそが仕事をしているという実感をもたらすものではないかと思った。当たり前の話をするが、ただ座って本を読んでいたりなにかを書いていたりしても、身体は温まらない。ただ脳が加熱されたような状態になるだけだ。肉体を動かすと身体が温まる。この当たり前の因果関係から生まれる熱こそが、私に仕事をしているという実感を与えてくれるのだと思う。

仕事前は思考が過敏になる。もし失敗したらどうしよう、と思う。入ってしまうと、失敗したとしてもすぐに次の仕事が入ってくるので感傷に浸っている暇もない(それに失敗ならしょっちゅうするのだから)。午前中にしてしまった失敗のことなんて午後にはすっかり忘れてしまっている。この忘却は、もしかすると大事な能力なのかもしれない。もちろん忘却に抗ってメモを書くことも大事だろうが、時には大事なことであっても忘れてしまうこと、時の流れと忘却という自分ではどうにもならないものに身を任せることも大事なのだろうと思う。

英語で日記を書いているのだけれど、とある読者からもっと英語のノンフィクションを読んだほうがいい、と言われた。英語のノンフィクションか……実は英語のペーパーバックは色々持っているのだけれど最後まで読めず、挫折しているのだった(ユヴァル・ノア・ハラリ『サピエンス全史』等など)。だから買ったままのそのペーパーバックを読んで勉強するしかないのかもしれない。ポール・オースターの散文はどうだろう。あるいは、マックス・テグマーク『LIFE 3.0』を読むのもいいのかもしれない。こちらは邦訳もあるし。

ブログの他に小説もネットで発表したいと思い、手始めに起爆剤として古井由吉『白暗淵』を読み返した。古井由吉の小説は難解だと言われるが、確かに哲学的な考察が重要な役割を果たしているので慣れないと四苦八苦するかもしれない。今回の読書では私は古井の耳の良さについて考えた。沈黙、つまり文字通りシーンと静まり返った状況に騒々しさを聞き取り、あるいはその静けさこそが悟りを導くと書いているところが興味深く思ったのだ。だが、これを小説に書くとなるとまた独りよがりでわけがわからなくなるかもしれない。気をつけなければ。