堀江敏幸『河岸忘日抄』をようやく読む。断章というか断片の集積によって書かれた小説で、筋らしい筋はない。それはさながら主人公が住む、停泊している船のようだ。どこにも進まない。主人公はチェーホフを読み、思索に耽る。だが、「退屈」ではない。私には、進んでいるように見えて実は予定調和的なストーリーにしか発展しない数多の小説の方がよほど「停滞」しているように感じられる。この本は私に新しい世界の見方と小説の書き方を教えてくれるような、そんな一冊であると思った。長らく積読だったのだけど、無駄にはならなかったと思った。
田島貴男というミュージシャンが、岡本太郎の本を鞄の中に入れて行く先々で読むと聞いたことがある。私の「鞄の中に常備する本」はなだろう、と考えた。私は電子書籍は読まないので(単に目が疲れるからだ)、軽い文庫本を1冊か2冊鞄の中に入れて行く先々で読みたい。吉田健一の『時間』なんてどうだろう。そのタイトルの通り時間について哲学的な考察を重ねたような、ただダラダラ思いつくままに戯言を書き殴ったような、そんな不思議な本だ。そんな本だから中身なんて暗記できるわけもなく、読んでいると濃密な快楽を感じることができる。
自分の人生について考えた。成功について……私はロクでもない体験をした時期が長いせいか、あるいは書くものに自信がありすぎたせいか自分はいずれ成功する、ビッグになると信じていたのだった。しがない勤め人のままでは終わらない、と。そして来たるべき成功のきっかけを待つ内に40をすぎてしまった。だが、今は私はある意味ではとっくの昔に成功していたのかもしれないなと思った。もちろんベストセラー作家にはなれなかったものの、気の合う友だちがたくさんできたしその人たちが私の書くものを熱心に読んで下さっているからだ。
そんな人生を送ってしまったからか、私は世間で美しいとされる夢や成功といったものを信じられない。もちろん金や名声はないよりはあった方がいいだろう。私も勝利の美酒を浴びたいと思うことはある。毎日そんな「楽して儲けたい」と考えている、と言っても過言ではない。だが、成功しなければならないと考えると自分の今の境遇が惨めに感じられて、なおかつ成功できないことがプレッシャーになるのではないだろうか。「今」この瞬間を肯定できないと生きるのが苦しくなるし、それこそ負け犬の人生になってしまうように思う。