跳舞猫日録

Life goes on brah!

2021/10/16

なぜ自殺はいけないのかについて考えている。とはいえ、思いつめているわけではない(本当だ)。たまたま、ニルヴァーナのフロントマンでありカリスマでもあったカート・コバーンのことを考えることがあったからだ。知られるように彼は自殺したわけだが、改めて「死んではいけなかった」と思った。生きていれば、彼はもっと深みのある作品を作り続けていたかもしれない。いや、作れなかったとしても妻や子と幸せな人生を過ごすことができていたはずだ。彼の人生を中断したものを憎む。彼が抱えていた苦しみは、想像するしかないにしても。

私の本棚には、二階堂奥歯という女性が書いた日記『八本脚の蝶』がある。二階堂奥歯という人は自身の生きづらさと真摯に向き合った挙句の果てに自殺を選んだ。今日、その日記を読み返してみようとして最初の3ページを読んだところで耐えきれなくなって読むのを止めてしまった。今の心理で読むと引きずられてしまうような、そんな気がしたのだ。なぜ自殺してはいけないのか……中島義道は「きみが自殺すると、ぼくが悲しいから。だから自殺してはいけない」と語っていたのではなかっただろうか。それは馬鹿げた戯言と一蹴できない重みがあると思う。

私自身、なぜ生きなければならないのか、なぜ死んではいけないのかと真剣に悩んだことがある。大学を卒業するにあたって全然職が見つからなくて悩んで、万策尽きて自殺未遂をしたことがあった。あるいは、今の職場でパワハラに遭って、向いてない仕事を押し付けられてどうしようもなくなって、「もう死のう」と思って自殺未遂をした……40になって、本当に大事な人たちと出会いそれから人生が明るくなってきたのだった。大事な人たちが居るから。その人たちにブザマな姿を見せるわけにはいかないから、私は生きる。安吾に倣って「死ぬことなんていつでもできる」と嘯いて。

また私の本棚から引けば、中島義道『孤独について』という本がある。著者は子どもの頃から生きづらさを抱えて、東大まで入った優秀な人でありながら自殺未遂をして、最終的に哲学の道を歩みカントの研究者として大成した人だ。彼が語るように、努力が報われるものとは限らないし、あらかじめ生まれ持った才能や美醜に左右/翻弄されて生きるしかないのが人生かもしれない。とはいえ、報われないかもしれないけれど私は本を読み続けて、英語で日記やコラムを書き続けるのだろう。そうせずにはいられないから。考える前に私の手は動く。

「もしも誰かを愛したら/素直なその気持ちを/その人に伝える/それがこの世界へ生まれ落ちた理由だから」(ブランキー・ジェット・シティ「水色」)。