跳舞猫日録

Life goes on brah!

2021/09/21

今日、もうダメかもしれないと思った。仕事前、いつもよりぐっすり眠れなかったことやその他細かいことが気になって、仕事ができないのではないかと思ってしまったのだ。だけれども休むわけにもいかないので、現場に入って仕事をし始めて結局ラストまで居てしまった。こうした経験が続いている。だけれども、「入ったらなんとかなる」と自分を信じきれないのが辛い。何度成功しても「今度こそダメだろう」「今度はきっとうまく行かない」と自分を疑ってしまうのだ。どうしてなのだろう。なぜ「うまく行かない」と思うのか、なぜうまく行くのか。

それを言い出せばこの日記にしてもそうだ。私は、この日記に関して特になにも書くべきことなんて考えていない。一応『SNOOPY MY BOOK』というメモ帳にアイデアを書くがあとはぶっつけ本番で書いている。なぜ書くことがうかんでくるのだろう。昨日も書いたが、英語で喋る時も小賢しく考える前に喋ることが浮かんでくる。なぜなのだろう。わからない……ウィトゲンシュタインは自分はペンで考えると語っていたが、私はこの指で考えている。この身体で仕事をしている。頭ではなく、この身体が動く。

佐藤祐市キサラギ』を観る。オタク文化というか、アイドル文化を描写した映画だが随所にクエンティン・タランティーノレザボア・ドッグス』を連想した。よくできたミステリでありコメディで、キビキビと進むストーリーについこちらも息を呑んでしまった。こうした良作を観ると嬉しくなる。人はなぜ出会うのか、それは偶然なのか必然なのか……といったことまで問題にされているように映った。私も、今の発達障害関連の人間関係はどこまで偶然なのか必然なのかというようなことを考えてしまうから共感を抱いた。

ビートルズのことを考えた。「Let It Be」という曲。「なすがままに」。どうにもうまく行かないときは諦めなさい、というようなことを歌っていると思う。昔はこの精神がわからなかった。「うまく行かない時こそ、自分を信じて頑張らないといけないのではないか」と思ったのだ。今は違う。「Let It Be」の精神で自分の身体を投げ出して、身体が動くままに動くことこそが大事ではないかと思うのだ。そのようなことをジョンとポールは若くして見抜いていたということだと思うと、彼らの(いや、リンゴとジョージもかな)老成に背筋が凍るものを感じる。