跳舞猫日録

Life goes on brah!

2021/09/11

アラン『幸福論』を読み返している。アランは、気分に囚われずやるべきことをやることの大事さを説いている。なので、私もやるべきことと思って仕事が終わって夕食を食べた後映画を観ようと思ったが(ちなみに『ワンダーウーマン1984』という映画です)、どうしても気分が乗らなかったので諦めて本を読んだ。こういう「気分のムラ」に左右されるあたり、私もまだまだ修業が足りないのかなと思う。秋が少しずつ深まってきたので、ボブ・ディランを聴きつつレイモンド・カーヴァー『頼むから静かにしてくれ』を読んでいた。

ただ、『頼むから静かにしてくれ』がどうにも面白くならない。レイモンド・カーヴァーの初期作品(つまり、まだまだ発展途上にある作品)だからなのか、目が冴えるほどの傑作とは言い難い(もちろん駄作ではないが)。なのでこれもまた気分のムラのせいで読めなくなって、読みかけで止めていた小西康陽『わたくしのビートルズ』を読み始めた。こちらはうまく行った。とはいえ、「こんな本を読んで、教養が身につくでもないのに一体自分はなにをやっているんだ」と思ったのもまた確かだった。いや、小西康陽の文章は洒脱なので面白い本なのだけれど。

今日は9.11が起きてから20年経つ。Netflixでも力の入った同時多発テロ事件をめぐるドキュメンタリーが放映されている。そちらを観るのもよかったのかもしれない。20年か……同時多発テロが起きて、わけもわからず辺見庸藤原帰一の本を読んで付け焼き刃でテロを語った時期が懐かしく、また恥ずかしくも思う。あの頃の私はテロを語れる自分に酔っていたのだと思う。語れない人、あるいは語らない人が自分の生活を盤石なものにするために真面目に働いて、真面目に生活を築き上げていることの重みを忘れていたかもしれない。

20年前、ウェブサイトを営んでいた頃……いやもっと遡って、早稲田に居た頃ミニコミをやったりしていて、政治や文化に対して物申すと息巻いていた頃のことを思い出す。ノンポリというのか、なにも語らない人たちのことをはっきり見下していたことを。今は違う。ブルース・スプリングスティーンの歌が描写しているような、日々真面目に勤めて堅実に生活を築き上げて、自分の人生や自分の生活と向かい合っている人たちはそれだけで美しいのだと思う。そういう人たちが必要とするからこそ政治や文化というものは尊いのではないだろうか、と。20年かけて、やっと自分はこんなありふれた真実に気づいたようだ。