開き直って、無謀なチャレンジをしたいわけじゃない。でも、このまま死んでいくことに「こんなはずじゃなかったのに」という切なさを抱かずにはいられない50代を、どう生きていけばいいのか。
「こんなはずじゃなかったのに」と思える人生、という生き方について考えます。それはきっと、人生の終わり/ゴールが見えていて、そこに向かって歩めばいい人生だったと思うのです。そんな人生は素敵だと思います。ぼくの人生が問題だったとするなら、それはそんな終わり/ゴールが見えていなかったことです。いや、最終的にぼくが見ていたのはただ一点だけ。いつか死ぬ、という端的な事実でした。そして、これは恥ずかしいことですがぼくは40で死のうと思っていました。それはぼくが尊敬していた作家のカフカが40で死んだからです。カフカと同じ要素を持つぼくの人生(薄給、親と同居、作家志望云々)は、カフカと同じように閉じられるべき――そう思っていました。
前に書いたことをまた繰り返すのですが、ぼくはいわゆるロスト・ジェネレーションと呼ばれる世代に属しています。十代がバブル経済の狂乱の思い出に彩られており、そんな美味しい生活に憧れながらいざ自分が就職するとなると就職氷河期にぶち当たって、色々泣きを見なければならなかったという世代です。だからぼくは原初のぼくの望みを忘れてしまっていました。ぼくにも「家族を築いて、マイホームを建てて」ということを漠然と夢見る(というか、常識としてそういう人生を歩むべきである)と思っていた時期があったのです。逆に言うと、人生は所詮そんなものとうっすら絶望すら感じていた時代があった、とも言えます。
ライター/コラムニストの鶴見済は『完全自殺マニュアル』『無気力生産工場』といった著作でそんな人生設計(つまり、終身雇用制度が堅牢に敷かれてレールの上を走らされる人生の設計)を嘆いています。そんな風にブロイラーのように社会人が大量生産され、ポジティブなものばかりがもてはやされる……今では信じられないかもしれません。ぼくの世代なのに未だにフリーターやニートという人も珍しくないと思うのです。ですが、かつては確かにそんな絶望を生きることがぼくたちの世代の定め、と思っていました。そんな未来が強制される時代に夢を持て、と言われてもどうしようもなかった……ぼくのことに話を戻すと、ぼくはただ漠然と「大人になるのは怖いな」と思っていました。
その後どんな体験をしたかは前に書いたとおりです。ぼくは作家になりたいとばかり思って、でも小説なんて書かずただブログをダラダラ更新して、暇ができたら酒に溺れるだけの人生をすごしました。一応会社に籍を置いて仕事もしていたのですが、その仕事は一生涯かけてやり抜く仕事になるとは思っていなかったです。半年持てばいいだろう、半年経ってから本格的なことを考えよう……そう思って働き、半年ごとにまた「次の半年また働いて様子を見てみてから決めよう」と思って、そして20年以上の日々が経っていました。でも、会社ではぼくは相変わらず平社員並の待遇で大して偉くもありません。まあ、遊び人みたいな感じです。
今思えば、ぼくは仕事の中に自分の将来を見出そうと思っていなかったのだと思います。ぼくは会社にとってアウトサイダーというか異物でした。ある日、会社の案件で出張していた時に倉阪鬼一郎の短編集を読んでいたのですが、たまたま同席された相手の方から「おたくの読んでおられる本は自己啓発書ですか?」と訊かれました。倉阪鬼一郎の短編集は間違っても自己啓発書なんかじゃありません。ですが、その件は「ああ、ぼくのように本に関心があってマニアックに読んでいる人間は本当に少数派なんだな」と思わせるに充分でした。また別の機会、丹生谷貴志『死体は窓から投げ捨てよ』を会社の食堂で読んでいたら凄い顔をされました。
そして、そんなアウトサイダーというか異物のぼくを恥じて(それはつまり、ぼくでない人間に憧れた、ということでもあります)、会社の中に無理して溶け込もうとしたこともあります。ですが、今はぼくは「いや、ぼくは生まれ変わっても、太陽が西から昇るようなことがあったとしてもぼくは百田尚樹の小説ではなくJ・G・バラードを読むだろうな」と思います。つまり、ぼくはぼくであろうと思います。そう思えるようになったのはとある女性との出会いなのですが、それについてもいずれ書かせてもらうことにします。ぼくは今、幸せです。なぜなら、会社とは別の場所かもしれないところであろうと、ぼくには「ぼくであり続けたい」という目標ができたからです。
昔、中島義道の『哲学の教科書』という本を読んでいたら、モンテーニュの『エセー』について触れられた一節があることに気づきました。長くなるのですが引用します(モンテーニュの原テクストを知らないので、これから虚心に『エセー』を読み解いていこうと思っています)。
われわれは言う。「彼は無為の中にその一生を過ごした」「ぼくは今日何もしなかった」――と。冗談ではない。君は生きたではないか。それこそ、君たちの仕事の根本であるだけでなく、その最も輝かしいものではないか。
ぼくはぼくのままでいい。もちろん人には至らないところはあります。直せばいいところもあるでしょう。しかし、ベースに置いておきたいのは「その人はその人、私は私」という相手と自分を尊重する心だと思います。それが備わってこそ初めて、人は人を愛し、自分のことを愛することができるようになるのではないでしょうか。ぼくは蓄えもないし、老後の保証もありません。ですが、その代わりぼくは健全な自己愛と自尊感情を手に入れられたと思います。だから、ぼくは幸せです。
話がまたずれてしまいました。ぼくは、一生かけて「ぼく」という人間がどんな存在なのか、どんな風に生きたらぼくらしい人生と言えるのかを考えたいと思います。会社の中にぼくの存在を位置づけると、会社がコケたらぼくもコケることになる。でも、ぼくは会社やその他所属する共同体に左右されずぼくなのだ……そう思えたら素敵ではないかな、と思います。46歳にしてやっと、ぼくはなんらかの「入り口」に立ったと思います。