跳舞猫日録

Life goes on brah!

2021/09/03

村上春樹ノルウェイの森』を読み始めた。初めてこの作品を読んだのは私が高校生の頃のことで、それから今に至るまで20回は読み返したのではないかと思う。なぜそこまでハマったのかわからないのだけれど、私にとっては今の私を形作っている作品のひとつとして今でも在り続けている。読みながら生を考え、死について思いを馳せたことを思い出す。村上春樹のように洒脱な、英語を直訳したかのような理知的な日本語を書こうとして随分頑張ったことを思い出す。彼の文体を真似て小説らしきものを書いたこともあった。今でも恥ずかしい過去として思い出す。

小説家の辻原登が、ドストエフスキーの作品に関して「10代のうちに読んでいなければ読んだとは言えない」というようなことを言っているのを思い出す。その言葉と出会った時の私は確か40代で、まだドストエフスキーを読んだことがなかった。その後『死の家の記録』を読み『罪と罰』を読み、少しずつドストエフスキーを知っていったことを思い出す。そんな私にとって10代の自分のバイブルとなってくれたのは村上春樹だった。それは読者としてアマちゃんであることを意味するのだろうか。いや、するならするでいいのだけれど。

いつ、どんな作品と出くわしどんな影響を受けるか。それはその人の人生の問題であって、容易く一般論として語れる問題ではないと思う。いつドストエフスキーと出会うかは人それぞれ。仮に10代でドストエフスキーを読んだとしても、それがその人にとって幸福な読書体験とはならないこともあるのだ。私にとっては『ノルウェイの森』が自分を突き動かした読書となったわけで、それを嗤われても「笑って下さい」としか言いようがない。私は知識をひけらかして人を圧倒したいという欲はない。これに関しては「人それぞれ」という立場を採りたい。

今日は『ノルウェイの森』の上巻を読んだ。流石にここまで読み込むと、一見するとマジカルに感じられた春樹のこの作品が彼なりの現実的な戦略に基づいて書かれていることがわかり面白く思う(とはいえ、まだ私は恥ずべきことだがフィッツジェラルドグレート・ギャツビー』を読んでいないのだった)。生と死、恋と青春。初めて読んだ時、高校生だった頃の記憶が蘇ってくる。友だちを作ることもできず、誰とも学校で話さずにひたすらこの作品を読み耽り、まだ見ぬ東京での大学生活に思いを馳せたあの日々……。