午前中、ZOOMでとある方と今の会社で就業支援員を利用することについて話す。なかなかこちらの思うようにいかないことについて、相手の方が悔しさを打ち明けて下さったことが印象的だった。悔しさ……私のためにそこまで力を入れて下さっているということが嬉しかった。自分は独りぼっちじゃない、ということが……しかし、私たちは諦めない。どうすれば発達障害を抱えた人が働きやすくなるのか考え続ける。私自身、自分がここまで発達障害にこだわり、主張し続けるとは意外だった。これからどんな変化が待っているのだろう。
海外の人と英語でチャットをした。日本語の本で、面白くて読みやすいものはなにかないかということだったので、片岡義男や平出隆はどうかと薦めてみた(特に後者の場合は『葉書でドナルド・エヴァンズに』)。こうやって知識をシェアできるというのは嬉しいことだ。いじめられっ子だった頃、本だけが私の唯一の友だちだったことを思い出す。本は私がなにを話しかけても黙って、笑わないで聞いてくれる友だったのだ。先生からは「本の中に逃げようとしている」とまで言われたのだけれど。でも、逃げてなにが悪いだろう。
仕事に入ると、小賢しい私の頭では状況をコントロールできない。一体なにが起こるかわからない。なにもかもこの頭だけで処理しようとすると無理が祟っておかしなことになる。だから、考えすぎない方がうまくいく。その時その時思いついたことを勘に任せてやっていく。その時その時、ミュージシャンがジャム・セッションに臨んで指に任せて勘で新しい曲を作るように、私も勘に任せて動き、そして考える。そうして仕事を続ける。「考えすぎない」というのは重要なキーワードだ。なにもかもコントロールしようとせず、状況に任せる。
ああ、かつては自分はこの世に存在することが恥ずかしいこと、忌み嫌うべきことと思っていた……だから生きることを諦めて酒に溺れたのだった。希望なんてなかった。ただ食べるために、ただ生きるために、ただ死なないために働く……アルコールで死ねたらこんないい死に方はないと信じていた。今、アルコールを断ってこの時点から未来を作ろうとしている。今この瞬間をどう生きるか。未来はそれによって決まる。そして、人はいくつになっても夢を見続ける権利があるのだ、と思った。なら私はどんな未来を思い描くことができるのだろう。