跳舞猫日録

Life goes on brah!

2021/08/24

今日は映画を観なかった。その代わり本を1冊読んだ。イギリスのSF作家J・G・バラードの自伝『人生の奇跡』だ。バラードという人は未だによくわからない。主書である『結晶世界』を読めていないのが恥ずかしいのだけれど、それでも今まで読んだ範囲ではバラードという人は人物の内面の狂いにスポットライトを当てて小説を書いているように感じさせる。私たちの外側にあるものが発達した社会(つまり、パソコンやスマホや……という物体が発達した社会)ではなくて内側(頭で考えること)が壊れた社会を描いている、というように。それがバラード言うところの「内宇宙」なのだろう、と。

『人生の奇跡』でバラードは自身の上海での幼年期と、彼にとっての第2の故郷であるイギリスに移り住んでからの生活を描いている。それは必ずしも波瀾万丈なものではないかもしれないが、その移り住む生活の中でバラードがどんな風に豊かな心を持った少年であったか、それ故に心の中でどんな変化が起こったかを記している。外側の波瀾万丈そのものを描くのではなく、その外側が内側の心にどう影響したか。主観的に世界の変化をどう捉えたか。その問題意識がバラードを生々しい作家のひとりとして成立させているように感じられた。

その勢いで『J・G・バラード短編全集』第2巻をスウェード(イギリスのロックバンドで、私が青春時代を過ごしていた頃流行った)を聴きながら読んだ。バラードの作品は滅びと退廃を匂わせるものが多い。だが、ならば世界をとっとと終わらせてしまえばいいのだ。人類の居ない世界を書いてもいい。バラードが終わりそうで終わらない世界を描いているというのは、人類の可能性をどこかで信じているからではないかと思う。「死は決定的な終わりかもしれないが、人間の想像力と意志は自分自身の消滅をも超克できるのだ」(『人生の奇跡』p.126)。『人生の奇跡』に描かれている、子どもたちに未来を託そうとするポジティブな態度が忘れられない。

高校生の頃、村上龍のエッセイでバラードの名前を知った。『ウォー・フィーバー』という短編集を読み、辞書の索引やインタビューを模した短編が収録されていることに興味を惹かれた。爾来バラードの作品は折に触れて読んできたつもりだった。だが、まだまだ自分にとって未知の作家であることがわかり、買ったままにしていた『J・G・バラード千年王国ユーザーズガイド』というエッセイ集を読もうかなと思わされた。読めるなら先に書いた、広く知られている『結晶世界』も読みたいと思う。それにしても、自分の読書はどこへ行くのだろう。