午前中、クロエ・ジャオ監督『ノマドランド』という映画を観る。私は今の会社で働いて20年以上経つのだけれど、愛社精神があったわけではなく他に行くところもなかったからダラダラ続けていたらそれだけの歳月がすぎてしまっていたのだった。ノマドワーカー、つまり会社を転々として定住せず働く生き方に憧れていたのだけれど(「転石苔を生ぜず」というやつだ)、それが甘っちょろいものではないことをこの映画で知った。社会派の、渋い映画だと思う。あまりに渋すぎてやや観るのが苦痛に感じられた。もう少し色気が欲しい。
今日は記憶に残る一日となるのだろうか……ナンバーガールというグループが「おととしの事件を誰も憶えておらんように/オレもまたこの風景の中に消えてゆくのだろうか」と歌っているのだけど、確かに「おととし」になにがあったのか即座には思い出せないし、思い出せたとしてもその出来事の中において自分がなにを考え、どう行動したかまではなかなか思い出せない。今考えていることも2年後には雲散霧消してしまう。そんなことを考えると「今」感じているこの感情が愛おしく感じられる。「今」を生きるということはなかなか難しい。
……というようなことを、今日の2度目のワクチン接種でふと考えた。会場で順番を待ち、打ってもらう。取り立てて痛かったわけでもなかったので、打ってもらいながら「こうやって今、コロナ禍で大変な思いをしてワクチン接種してもらっていることも忘れちゃうのかな……」と考えていたら切なくなったのだった。都会では医療崩壊がどうとか言われているが、私の生活ではグループホームの関係者の方々が奮戦して下さっているのでなんとか暮らせている……そう考えると頭が下がる。このコロナ禍の苦しみも、生きているからこそ味わえることだ。生きること、それが大事なのだろう。
夜、ミヒャエル・ハネケ監督『タイム・オブ・ザ・ウルフ』を観る。ハネケ流の「世界の終わり」を描写した作品だ。コロナ禍は「世界の終わり」なのだろうか、と考えた。このままコロナ禍が終わらず、私たちの生活が崩壊したら? 今読んでいるJ・G・バラードの小説に思いを馳せる。バラードの小説も「世界の終わり」を描き、それでも生きていく人々の姿を描いていたのだった。生きている限り人生は終わらないし、世界も終わらない。生きていることは尊い。その原理原則を忘れたくないと思った。この映画もきっとそんなことを訴えているのだ、と……。