跳舞猫日録

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アンドレイ・タルコフスキー『僕の村は戦場だった』

アンドレイ・タルコフスキー監督『僕の村は戦場だった』を観る。私の好きなコラムニストの山崎浩一が、確か「戦争(の話題)は8月が旬である」と如何にも皮肉を込めて書いていたのを思い出す。その皮肉を踏まえても、8月になると私は土用の丑の鰻のように戦争のことを思い出し、反戦的な「気分」を今一度自分の中で盛り上げて、Twitterあたりで反戦的なハッシュタグで盛り上がり、やがて忘れる……いい大人がなにをやってるんだかと我ながら情けなくなるが、この映画を観たのはそんな毎年恒例の「ひとり反戦運動」とは無関係にTSUTAYAのレンタルで順番が回ってきたからなのだった。

私はロシア語がからっきしできないのだが、タイトルを素朴に直訳すると『イヴァンの少年時代』という意味になるらしい。実際にこの映画はイヴァンという少年兵が体験した第二次世界大戦をリリカルでヴィヴィッドなタッチで描いたものである……ここで私の筆は止まってしまう。なにを書いていいかわからないからだ。それは取りも直さず、この映画が単純な「反戦」を訴えた力強い出来のものではなく、もっと繊細なものを孕んだ作品として結実しているからであると思う。ひと口で言えば、タルコフスキーらしい戦争映画である、と思ったのだけどではどうタルコフスキーらしいのか。

タルコフスキーは記憶にこだわる監督であると思う。『鏡』や『ノスタルジア』といった映画は(確かにスジを粗略できないほど難解な映画ではあるのだが)まさに幻想的な映像を通して登場人物の幼少期の記憶に迫った作品ではなかっただろうか。あるいは私の好きな『惑星ソラリス』では亡くなった妻の記憶を保持して傷心を抱えている男のところに、まさにその妻の記憶が擬人化した存在が現れるのだ。いや、そういうことを言い出せばどんな映画だって記憶と無縁ではないよと言われるかもしれないが、タルコフスキーにとって甘美な記憶を(プルーストのように?)生き直すことは生涯のテーマだったのではないか、とホラを吹いてみる。

記憶……ということは当然、人が皆持っている過去の幼少期に拘泥するということでもある。タルコフスキーがどんなキャリアを生きてきたのか知らないので推測/邪推になるのだけれど、文書/ドキュメントは幾らでも書き換えることが出来る。だが、人がその最中を生きた記憶は書き換えることができない。書き換えることができないということは、その記憶を(それがどれだけ辛いものであったとしても)引き受けて、時に恥じ入りつつ主体的に生きていかなければならないことを意味する。タルコフスキーはそのことを踏まえて、幻想的な語り口で救済に拘泥した映画を撮ったのではないか。むろん、観直してみないとわからないのだが。

そう捉えると、なんだか辛気臭い映画のようなこの作品を観るアクチュアルな意味というのも見えてくるように思う。ただ、そう捉えるとしてもこの映画はタルコフスキーとしては小粒の映画のように思われる。タルコフスキーと言えばとかく眠くなることで有名なのだけれど、スローモーションで延々展開する彼の映画術と比べるとこの映画は相対的にタイトで、その分眠くならないが心に響くものもそんなにないように思ったのだ。ソ連ナショナリズムを称揚する映画ではなく、もっと世界市民主義/コスモポリタニズムの文脈で解釈できる映画である、とは評価できるのだけど……。

タルコフスキーらしさと言えば、「火」と「水」だ。『惑星ソラリス』でも『鏡』でも『ノスタルジア』でも、揺らめく炎の艶めかしいフォルムや水の静謐さは強調されていた。火は水を蒸発させ、水は火を消す。この相容れない要素を世界の中に巧く共存させるマジックの持ち主として私はタルコフスキーを捉えていたのだが、この映画でもそのマジックは冴えていて嬉しくなった。あとは紅一点のような女性の描き方を、今のフェミニズムに鋭敏にならざるをえない時代にどう観直すかにも興味を惹かれる(アレクシエーヴィチ『戦争は女の顔をしていない』とも呼応しているのでは?)。だが、これ以上はもっと彼の作品を観直してから語るべきなのだろう。